紙一重

 これが、最後の衝撃。
 そして荒い息を吐きながら、両腕をついてうつぶせの身体を起こすと、じわり汗が滴った。
 今、互いの激しい呼吸音だけが妙に部屋に響いている。目を落とすと、ピサロは背中にその銀の髪をまき散らして、うつむせになったまま肩を激しく上下させ、苦しい息をこらえて。私はその銀を一筋つまみあげて、そして気を取り直して大きくかきわけ、そのうなじに唇を寄せた。すると互いの汗が、また混じり合って。
「私を恨みますか」
「……いや」
 密着していながら距離と気配をお互いに測り合うとは、おかしなものだ。意図せず喉の奥だけでくっくっと笑いを漏らすと、なぜかピサロも身体を震わせて、少し笑った。身体を離して、お前の横に仰向けになる。暗い天井の木目をなんとなく数え、ふたり呼吸が落ち着くのを待つ。濡れた喉元が冷たくなった。
「クリフト、お前は……」
 うつぶせたままで、その顔は見えなかった。何を言いたいのか、聞きたいような聞きたくないような。でも私は、彼のほうへ向き直り、銀をかき上げてその顔を覗き込んだ。と、意外にもピサロは少し笑っていた。
「全くお前という奴は。『見たことのない世界を見せてあげましょう』とはとんだ言い草よ」
「私の挑発にああもあっさり乗ってくださるとは、思わなかったもので」
 いつもの禍々しい気配を、どこかへ取り落としてきたみたいな笑いを浮かべ、ピサロはつぶやいた。
「どうやら私は、すっかりお前を見くびっていたようだな」
「それはお褒めの言葉と捉えてよろしいので?」
「いや、けなしてるんだが」
 それはそれで結構な答えだったので、私はにっこり笑った。
「しかしこうしていると、あなたはとてもすべてを束ねる魔族の王には見えない。いいものを見せてもらいました」
「お前もな」
 ピサロが手を伸ばし、私の髪をつまんで引っ張る。
「こうしていると、とてもお前が神に仕える聖なる神官には見えない」
「でも、これも私ですよ」
「そうなのだろう。こうしていても私は私だ」
 なぜか、二人笑いあった。
「誰も見たことのない世界、か。案外近くにあるものだな」
「愛と狂気は紙一重、とも言いますしね」
「それで、お前の望みとはなんだ」
 ピサロはようやく身体を起こし、私の頬に手を添えた。
「言っていただろう。見たことのない世界を見せる代わりに、一つ望みを叶えてくれと」
「ええ、ああ、言いましたけどね」
「あれでてっきり、私はお前が私にへりくだったのかと思ったのに」
 そう言いながら、ピサロはちょっと眉を寄せ、そして呆れたように微笑んだ。
「それで望みはなんだ。言ってみろ」
「そうですね。えー……お願いがあるのですが」
 ちょっと焦らすように濁すと、途端に食いついてきた。
「なんだ?早く言え」
「こう言っちゃなんですけどね。ザラキーマ教えてください」
「……断る!」
 今度は露骨に嫌そうな顔で、私を軽く突き飛ばした。仕方がないので、もう一度大きく背中に覆いかぶさって襲いかかってやる。そう、夜はまだ長い。朝までにはイエスと言わせてやろうじゃないか。
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