生きてて良かった@kiss

 ただ単に、ふざけた冗談の一線上に過ぎなかった。なんの話運びでそうなったんだったか、そう、キスしたことある?とかなんとか。全くもってくだらないし、さっさとこんな冗長なお喋りを終わらせてしまいたかったんだな。兎にも角にも、じゃあ教えてあげましょうか、と……はなはだ面倒ではあったけど、ソファで隣に座る勇者の肩を抱き寄せて。
 最初はくっつけるだけ。なのに、ビクッと彼の身体が震えるのがわかった。あーそうですか、ここからですか。内心ちょっとうんざりしながら、それでも乗り掛かった船、仕方がないから最後まで終わらせて差し上げましょう。舌で唇の輪郭をなぞって、ゆっくり入った。上唇、次に下唇を咥えて、それぞれゆっくり吸ってやる。口をもっと開いて、舌で歯をなぞり、なに震えてるんですかと心の中でツッコミを入れながら、ここまできたならもういいや、とソファに押し倒した。唇を頬に移し、耳元に這わせ、首筋を柔らかく吸う。あ、これはまずいぞと思う。これ以上、制御が効かなくなる前に……!
 がばっと、身体を起こした。しかし時遅し、勇者はボーッと私を見ている。顔が真っ赤だ。これは、明らかにやりすぎた。
「すみませんでした、ソロ。少々調子に乗りすぎました」
「すみませんてお前……」
「最初の5秒間くらいが普通のキスです。あれでも自制した方ですが、後の記憶は消しといてください」
 我ながら無茶なことを言ってると思う。ソロはきょとんとした後、いきなり立ち上がってわめいた。
「んなことできるわけねーだろ!すみませんで済ますんじゃねー!」
「ええ。だから私を一発殴ってください。それぐらいされた方が良いでしょうから」
「……いや、殴らねーよ。もうこれでいいや」
 すとん、と勇者は元通りソファに腰を落とす。唇に指を当てて、中空を見つめて。
「許してくださいますか」
「もういいよ」
「じゃ、ご感想を」
 また怒るかな。と思ったら、勇者は目を泳がせてしばらく黙ってしまった。でも、何度かなにかを言いかける。だから私は待つことにした。数分か、それとも十数分か。そんな短くも長い時間の後、ようやく彼は口を開いた。
「なんか、生きてるって感じがしたんだ」
「“生きてる”?どういう……」
「違うな。あー、なんか今、すげえ生きてて良かったって感じがした」
 そんなことを言われるとは思わなかったので、あっけにとられた。
「意味がわからないんですけど」
「いや、わかっただろ?ほんとはわかってるんだろ?」
 勇者は手を伸ばして、私の手首を掴んだ。
「でなきゃ、あんな……あんなことできるわけがない。お前、自分が生きてるって知ってるだろ?」
 当たり前じゃないですか、と言おうとして気がついた。彼はそうじゃないのだということに。
「自分が生きてることに迷いも疑いもないから、自分の身体を自分のものとして使えるんだろ?」
「血が通って体温があって摂食も排泄もしている事実で、生命活動の存在を否定することの方が難しいでしょう」
「そうじゃない。納得してるかどうかだよ」
 手首がキリキリ締め付けられて痛かった。でも私は、気にしないことにした。
「でも今、生きてて良かったのかなと思った。だからもう、なんか、今死んでもいい気がする」
「あなたが、そういう事を言ってはいけません!」
 思わず怒鳴ってしまう。でも勇者は引かず、私を睨みつけた。
「やりたくて勇者やってるわけじゃない。毒ぐらい吐いたっていいだろ!」
 そして、ふっとうつむいてしまう。
「思い残すことはない、って言うくらいは許してくれよ……」
 言いすぎたとは思わない。でも、もっとものの言い様があったはずだった。手首はぐっと掴まれたままだったけれど、反対の手を彼の肩に回し、そっと抱き寄せた。下を向いたままの彼の頭の上に顎を乗せ、髪にキス。額にキス。耳にキス。今の私にできることは、それくらいしかない。
「申し訳ありません。出過ぎた真似を致しました。全面的に私が悪い。ですから」
「そういう物の言い方すんなよ!」
 強く遮り、そしてちょっと口ごもって。
「俺、今、結構マジにお前に感謝してるんだぜ」
「感謝されるようなことは、していません」
 むしろ咎められるようなこと、と呟いた。が、その言葉は勇者に拾われてしまった。
「それでも、お前は今1人救ったかもしれないんだ。だから」
 そんな言葉は慰めにもならない、私は自己嫌悪の沼に首まで浸かっていた。このまま溺れてしまいたい。天空の勇者の前に、思い上がった私が何を言う?何にも残ってないじゃないか。
「だから、なんですか」
 かすれた声で投げやりに言うと、勇者の手がふと緩んだ。
「だから、もう一回……さっきの、やってくんね?」
「はい?あなた自分の言ってることわかってるんですか」
「自分が生きてるってことに、もうちょっとで納得できそうな気がするんだ。だから」
 横目でチラリと見ると、私の手首にはくっきりと、掴まれたあとの痣が残っていた。これは当分残ってしまうな。でも、それでいい。私は、今度は両手で彼の頬を挟み、そっと顔を近づけた。

「今度は自制しませんけど、それでもいいですよね」
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