煙に巻かれて

 午後、柔らかく傾いた日の光が宿屋の食堂に差し込んでいた。やっとこの街にたどり着き、でもってなんとか遅い昼食をとることができ、そしてみんなは買い物に出かけて行ったり休むために部屋に行ったりとてんでばらばらになり、でも私は立ち上がるのも億劫なほど疲れていて結局そのまま座っていた。要するに、根っこが生えちゃったわけ。
 宿屋の主人がさっき持ってきてくれたコーヒーをすする。いい加減冷めていたけど、身体に沁み渡るみたいに美味しい。なんとなく、煙草を取りだして、親指の先で火を着ける。ゆっくりと煙を吐き出す、疲れも何もかも全部一緒に、身体の中から押し出して。
「そういうのを見ていると、煙草もいいものだなって思いますよ」
 目をあげると、斜向かいにまだクリフトが座っていて、私を見てニコニコしていた。
「なに、『そういうの』って?」
「いわゆる“食後の一服”をする人たちは、本当にリラックスした顔をしますよね」
「そう?」
 唇から離して、またゆっくり煙を吐く。リラックス、か。
「てか、まだいたの?みんなと一緒に行ったのかと思ってた」
「なんだか、立ち上がるのがもったいなくて」
 そう言ってクリフトはカップを口元に運んだ。ポットから2杯目を継いで、それからなにも言わずに私のカップにも注いでくれる。それが最後の一滴になって、カップの中に一瞬輪ができた。
「私は煙草は吸いませんけれど。そんなあなたを眺めているのは好きですよ」
「どうして?」
「遠くを見るようにして、少し目を細めてるのが、絵になるなと思ってました。ずっと」
 呆気にとられて思わず顔を上げると、クリフトはふんわりと微笑んでいて、その素直なまっすぐな目が私に向いていた。
「や、やだなあもう。そんなふうにじろじろ見ないでよ」
「どうしてですか?あなたはステージで何百という視線を集めてきたじゃないですか」
「それとこれとは訳が違うでしょ!」
 クリフトはむかつくくらいにきょとんとした。
「どう違うんですか?」
「どうって」
 無性に恥ずかしくなってしまい、吸いさしの煙草を無理やり灰皿に押し付けた。
「そんな視線で見つめられるのには慣れてないの。そんなふうに……あなたみたいな人に」
 声が小さくなって、口ごもってしまう。顔から火が出そうで、こんないたたまれなさを早く断ち切りたくて、私はおもいっきり顔を背けた。
「ともかく!今の私は舞台の上の踊り子じゃないってことよ」
「もしかして、照れてます?」
 少し意外そうな、それでいて笑いを含んだ声だった。もう今さら向き直れないでいると、それが答えになってしまう。でも、まともに顔なんか見られる訳がないじゃない!心中地団駄踏んでいると、キイと椅子を引く音がした。
「こうなると、もう少し見ていたくなりますね。もっと近くで」
 どういうことよ、と聞けないその間に、すぐ近くに気配。うっかり振り返ってしまう、するとすぐ隣にクリフトが座って、頬杖をついて微笑んでる。
「素直に褒められていればいいのに、あなたって人は。これではますます目が離せない」
「もうほんとお願いだからやめて。洒落にならなくなるからやめて」
「最初から洒落でもなんでもないのに」
 不意にクリフトの手が伸びてきて、手を握られるのかと一瞬思っちゃってドキッとして、なのにその手は素通りして放り出された煙草の箱をつまんでひっくり返した。何も出てこない。
「ああ、さっきのが最後の一本だったんですか。からかってもったいなかったな」
「からかってたの?」
「途中からは。あなたがそんな反応を見せるとは思わなかったもので、つい」
 かーっとなって、思いっきりクリフトをどついた!
「痛っ!なにするんですか!」
「それはこっちのセリフよ!ほんとひどすぎじゃない!」
「何がどうひどいんですか。褒めてるんですよ?」
「今、私のことをからかってるって認めたでしょ!」
 クリフトは顔を赤らめて、私をまっすぐ見つめた。
「それは、そんな顔をもう少し見ていたくて。今もたっぷりと拝ませていただいていますが」
「そういうこと言ってると、キスしちゃうよ?」
 半分冗談、半分本気。どっちにしてもとっとと音を上げてもらいたいの。なのに、あなたったら。
「どういう脅迫ですか、それ?」
 急に顔を近づけられたのは、こっちのほうだなんて。
「ひょっとして、からかわれるのが割とお好きとか?」
「大嫌いよ」
 悔しいので顎をつかんで、もっと引き寄せた。するとクリフトがかすかに動揺したので、にんまりする。
「そんな私をからかったことを、後悔させてあげるわ」
 唇を近づけて、これ以上ない至近距離で見つめあって、それで……

 ばたん!

 扉が急に開いて、勇者君、アリーナ、ミネアがほっぺたを真っ赤にさせて入ってきた!
「ふー!疲れた疲れた!」
「こんな寒いのに、結構人が出てたわね!」
「でも天気が良かったですからね。良かったわ、いろいろ買えて」
 楽しそうにキャッキャとはしゃぐ3人に、私たちはすっかり毒気を抜かれて。
「姉さん、まだここで休んでたの?」
「あっ、コーヒー飲んでたの?私にもちょうだい、クリフト」
「よく見ろよアリーナ。もう残ってないじゃん、残念」
 勇者君とアリーナがクリフトに駆け寄って、両側から腕を取った。
「そんなことよりこれから外で焚き火やるんだ。クリフトも来いよ」
「マシュマロいっぱい買ってきたの。焼いて食べよ?」
「ねえ、姉さんも来たら?ホットワインも作るのよ」
 元気炸裂の3人に呆然とする、なのに二人はクリフトを引っ張り、ミネアは無邪気に笑いながらまた扉を開け、あれよあれよという間に連れて行ってしまった。扉の外に出る瞬間、クリフトが一瞬振り返って、名残惜しそうで、でもすぐに見えなくなってしまって。
 今、何が起こったの?
 首をひねる暇もなく、外から私を容赦なく呼ぶ声がする。
「マーニャ!早くおいでよ」
「火付け役はやっぱりマーニャだよな!」
 火を点けられそうなのは、むしろ私だったんですけど。むろんそんなこと言えるわけもなく、私は渋々席を立った。ついでに煙草の空箱を握りつぶして、ごみ箱に放り込む。しばらく禁煙しよう。うん、それがいいと思う。
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