何度でもこうして、ほら

 まだ手の甲に残っている。あなたの長い紫の髪を、柔らかく巻き取った感触が。
 自分の頬、唇、あごの先を指でなぞる。触れたところ、触れたところが、どうしてこんなにもいちいち熱いのだろう。そこに形がくっきりと残っているようで、なのに今はもう何もない。でも、数分前には、確かにそこにあったのだ。あなたの燃えるような唇と、すべらかな指先が。
 さっきおやすみを言って、廊下と扉に二人分け隔てられて、ベッドに潜り込んで、そしてひどく落ち着かなくて。こんなことになるなんて、と心につぶやいてみたけれど、困っている訳ではもちろんなかった。ただ、やけに戸惑っているのと、訳の分からない高揚感、そしてまだ信じられない気持ちが、大きいうねりとなって私をすっかり飲み込んでいるのだった。あなたが私を、私の思いを、受け止めてくれるなんて。
「いつの間にかね」
 唇の動きだけが、目の奥によみがえった。
「いつの間にか、あなたに惹かれていたの。あなたが好き」
 踊り子の手練手管なんじゃないかと思った。本当は今でも、今となっても、ほんの少し、いやかなり疑っている、けれど彼女を疑うということ自体、自分が罪深くも思えて。本気じゃないんじゃないか、誑かされているだけじゃないかと。
 でも、そんなふうに動揺する私を見透かすように、彼女はこう言った。
「ねえ、いきなりこんなこと言われても、冗談に思われるかも知れないよね。でも私、本気だから。この旅が終わるまでに、それを証明してみせるから。だから、……今は」
 どうやって腕に抱いたのかすら、覚えていない。ただ気がつくと、私は夢中であなたの髪を撫でていたのだった。腕の中に息づく温かいあなたが、優しく、それは優しく、何度も何度も私に口づけていた。
 夢のようだった、という表現が、誇張でなく現実にこの世にあるなんて。
「どうしてですか」
 かすれる声でそう言うのがやっとだった。
 どうして私を愛してくれるのですか。どうして私があなたに惹かれていたことを知っているのですか。どうして私なのですか。あなたなら、他にいくらでも選べるのでしょうに、何故に私のようなつまらない男を見いだしてくれるのですか。そんな言葉がぐるぐると脳内をかけめぐるも、『どうしてですか』、これ以上私は聞くことができなかったのだ。たぶん、答えを聞くのが怖くもあった。口に出すのが怖くもあった。
「理由なんてないわ。ただ、あなたの目に吸い込まれそうな自分に気づいただけよ」
「けれど、私は」
「お願い。もっと強く、抱きしめて。もしも私のことを、愛してくれるのなら」
 一も二もなく抱きしめた。ひどい鼓動がわんわん頭に響いた。あなたのものか、私のものか、それすら判別がつかなかった。あなたの火の魔法に取り込まれ、そこら中が熱く燃えていた。どれくらい時間が経ったのか、全くわからなかった。いつあなたが離れたのか、それとも私が離したのか、離れたのか、これも全然思い出せない。そして私たちはしばらく話をした、でも全ては夢の中のことのようで、なぜかはっきりとは思い出せない。
 情熱。
 今夜、私はその言葉を初めて知った。そしてそれが、自分の中にこれほどまでにあふれていたこと、そしてそれが今までずっと眠っていたことも。もう一度、指で唇を押さえてみる。何度でもこうして、ほら、いつまでもよみがえる。もしもこのことが夢だったとしても、私は微塵も後悔しない。なぜなら、あなたが今日の最後にこう囁いてくれたから。
「クリフト。もしかしたら私たち、旅が終わるまでに死んじゃうかも知れない。でも覚えておいて。私、こんなふうにあなたが抱きしめてくれた嬉しさを、『夢みたいだった』なんて過去形で終わらせたくないの」
 マーニャの頬は、涙で濡れていた。同じように私も泣いていたかも知れなかった。
「好きだって言えたら、伝えられたら、それだけで良かったの。でも、あなたがこんなふうに抱きしめてくれるなんて……思わなかった。すごく嬉しい」
 私も、私も同じです。そう言いたかったけれど、言葉にすらできなかった。ただあなたを抱きしめ返すことしかできなかった。動悸が胸にどん、どん、どんと今でも突き刺さる。何もかもが夢のようで、けれども夢では終わらせない!一人、枕に顔をうずめて、自分で自分を抱きしめた。爪を腕に食い込ませ、痛みを現実に呼び戻す。いや、夢か現実かなんて、この際、もう、どうでもいい!
 私の心ももう、いつしか決まっていた。『夢みたいだった』なんて、過去形で終わらせるもんか。私が導かれし者なら、世界だけじゃなく、自分の未来も救ってみせる。そしてもちろん、あなたの未来を。

恋したくなるお題 より 意地っ張りに恋したお題 http://members2.jcom.home.ne.jp/seiku-hinata/
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。