僕の肩でよろしければ

 たぶんここまで来れば、もう大丈夫だと思った。
 私は小さな石段にしゃがみ込んだ。両手で膝をかかえた。自分の膝の間に鼻をぎゅっとうずめて、これで準備万端整った。
 ……と、思ったのに。

「大丈夫ですか」
「なんのこと?」
 わざとつっけんどんに答えた。気遣わしげな声が恨めしい。ひとりで泣けるだけ泣こうと思ってたなんて絶対に言えない。
「なんでこんなところにいるのよ。てかなんか用?」
 そう、なんでこんなところにクリフトが?そういえばこいつを夕食後から見ていない気がした。夕食ったって、あんな重苦しい食卓も今までなかった。誰も何も言わず、沈痛な顔で。全く味も感じなかったのは、たぶん私だけでもないだろう。勝ったというのに、これほどの絶望に埋まってしまうなんて。私たちは父さんの敵を討って、そしてこれでサントハイムは取り戻せた、はずだった。
 そのはずだったというのに!
「いきなりふらっと現れて、どこにいたの。悪いけど邪魔だからとっととどっか行ってほしいんだけど?」
「教会にいました」
 クリフトは私の突っかかるような口調も流して、私の隣に腰を下ろした。
「……あんな戦闘の後で、心が落ち着かなかったもので」
「誰だってそうだよね」
 きつく当たったことをちょっと後悔する。彼も当事者の一人。大切な彼らの場所が、見るも無惨に汚されているのを直視しなければならなかった。つらくないわけがない。泣きたくならないわけがない。
「アリーナもご飯ほとんど食べなかったし、すぐに眠っちゃったし」
 クリフトは目を伏せてうなずいた。私はそのアリーナの寝顔を横目に見ながら部屋を出てきたんだった。涙の跡の残る頬。胸がきつく痛んだ。アリーナたちの痛みと私たちの痛みは全く違うけれど、このやるせなさに流すのは、みな悔し涙。
 泣きたかったのに。たった一人で、誰にも知られずに、大声を上げて泣きわめきたかったのに。
「それで、どうしてあなたはここにいるの。クリフト」
「あなたが……かなり思い詰めたような顔で、歩き去るのが見えたので」
 少しきまり悪そうに、頭を下げる。
「邪魔だと言われようと、ほうってはおけませんでした」
「どうして?人を導く神官だから?」
 クリフトはそれには答えず、困ったように微笑んだ。
「そこまでは言えません。それはこの状況では、あまりにもおこがましいと思うので」
「確かにそうよね」
 やっぱり冷たいような言い方になってしまうけれど、どこかほっとする。それはたぶん、このひとの言葉がひたすらに控えめだからだと思う。それは同時に、やたらと腹立たしくも思えた。一人になれる時間と場所を探してた私は、いったいなんなの。『邪魔だと言われようと』なんて、ふざけんじゃないわよ。
「ごめん、やっぱりどっか行っててもらえない?一人になりたいの」
「でも……」
 煮えきらない様子でうつむく仕草に、ついカッとなる。思わずクリフトの肩をつかんで、思い切り押してしまった。
「もう嫌なの!その気遣いが重すぎるんだって、どうしてわからないの!」
「マーニャさん!」
「もうほっといてよ!一人にしてったら!」
 突然、押し戻された。
 抱き寄せられた。
 強い力で。熱い息で。
「お願いです」
 その声は震えていた。
「お願いです、落ち着いて下さい。これ以上あなたにそんな顔をさせたくない!」
「クリフト」
「泣かないでとは言えない。でも」
 急に腕が緩み、クリフトはうつむいて長い息を吐いた。
「今、あなたを一人にはしたくない」
「ひどいよ」
 涙をこらえた。見せたくない。このひとにだけは見せられない。
「そんな言葉かけないでよ。狡いじゃない」
「それでも、一人には、できない……」
 両腕をだらんと下げ、クリフトはゆっくり区切るように囁いた。私は、急に恥ずかしくなった。このひとは今、こんなにも私を思いやってくれている。押しつけでなく、自分のやり方で、私に添ってくれようとしている。そう、私たちの痛みの一部は重なりあっているから。
 何か言おうとした。言葉にならなかった。代わりにしずくがひとすじ頬にこぼれた。
「マーニャ」
 とても優しい柔らかい声が私の名前を呼んだ。ぽろぽろといくつかの水滴が頬をつたい地面に落ちた。
「あなたの心に、いつか平安が訪れますように。不安も悲しみも、いつか和らぐ時が来ますように」
 温かい祈りの言葉が春雨のように胸に降り注ぐ。唇を結んでうつむくと、足下に丸い染みがいくつもできて。
「そして、バルザックさんの哀れな魂が……救われんことを」
 もう、だめだった。
 私は声を上げて泣いた。クリフトの肩にすがって泣いた。父さんのかたき、そしてデスピサロの配下となり、サントハイム城を乗っ取り、たくさんの命を奪い平和を乱した奴……!みんなが奴を憎んでた。倒さなければならない敵だった。なのに、今、クリフトは。
 幼い頃の記憶がよみがえる。父さんの傍らで、父さんの手元を興味津々で覗き込んでいた2番めの弟子。こんなことになるなんて思いも寄らなかった、あの楽しい日々。あの時間はもう戻らない。戻れない。だって、あいつも死んでしまったから。
 泣いて泣いてどうしようもない私、その間クリフトは穏やかにただ側に立ってくれていた。いつの間にか強く掴んでいた、クリフトの袖はぐしゃぐしゃだった。
「……ごめんね」
 クリフトは少しだけ微笑んでかすかに首を横に振った。小さな答えだったけれど、それで充分だった。
「こんなふうに、泣いちゃったこと。誰にもいわないでよ?」
「もちろん他言は致しません」
 生真面目な答えに、少し笑った。
「そうだよね、神官だし。懺悔室の言葉とかにも、守秘義務があるもんね」
「いえ」
 戸惑ったように、視線をさまよわせる。言葉を選ぶようにして、あごに手を当てながら。
「神官だからというより……私だからです。うまく言えませんが」
「そう」
 少しの間不思議な気持ちになって、私はクリフトを見つめた。私の視線に気づいて、クリフトも私を見つめ返す。何とも言えない、甘い花の香りのような空気に二人包まれたよう。また別の意味で泣きたくなるような、ふんわりしたぬくもり。
 私は涙をちゃんと拭って、笑った。もう大丈夫。私は大丈夫。クリフトをもう一度見ると、クリフトもちゃんと微笑んでいた。大丈夫。あなたも、大丈夫。
「決めた。次に好きになる男は、あなたにするわ」
「そ、そんな、いきなり」
 クリフトは目を白黒させて真っ赤になる。それがおかしくて、私はまた笑った。
「そんな露骨に困った顔することないじゃない?」
「困っては、いませんが……でも」
「でも、今じゃない。全部終わってから。全部が、ね」
 その言葉にクリフトは、すっと真面目な顔に戻った。まだ終わってない。まだ始まったばかり。それがみんなわかっているから。
「私は、もう大丈夫。でも、これからも時々は辛くなっちゃうかも知れない。泣きたくなる時も」
「でも、もう一人では泣かないで下さいね」
 クリフトは私が言おうとしたことを上手に引き取って、にっこりと笑った。あなたはなにもかもわかって、そこにいてくれる。それだけで明日も生きていける。
「泣きたくなった時には、またつきあってくれる?」
「僕の肩でよろしければ」
 ああ、今、この瞬間から!
 あなたは今まで知らなかったあなたになった。たぶんこの先、今までとは全然違うようにあなたを見てしまうだろう。それはほんの少し恐ろしくて、たぶんとても心躍ること。見上げると微笑み、そして知らなかったあなたのことをもっともっと知りたくなる。ぐしゃぐしゃにしてしまった袖に、今度はやさしく掴まってみると、あなたが心持ち腕を浮かせてくれる。これだけで明日も生きていける。あなたの肩に顔を押し付けると、今度は嬉し涙があふれた。願わくば、明後日も、明々後日も、ずっとその先も、こうして生きていけたらと。

情緒不安定美人五題「僕の肩でよろしければ」 リライト http://lonelylion.nobody.jp/
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