嘘八百

 本のページを繰り返しめくるそのきれいな指は、なぜか私の目を強く惹きつけた。常々剣を振るっているせいかかなり荒れてはいるけれども、白くて長い指のすらりとしたシルエット、その上品な物腰はまるで流れる音楽のように優雅だった。徐々に目線を上に移すと、ページを繰る本を読んでいるあなたの顔。前髪が優しく額にかかって、それを無意識に時々かき上げる指。時々見える耳、そこから続く輪郭も特段に目をひく。
「ねえ、クリフトってそうしているととってもセクシーよね」
「そうしていると、ってなんですか」
 気の無い返事。本から目をあげようともしない。
「お城の人はやっぱり品があるな、って思って。仕草の一つ一つがエレガントだし」
「あなたも、踊り子らしく人にそう思わせる身のこなしではありませんか」
「あら、ありがとう。それならいいかげん目を上げてこっち向いてくれる?」
 面倒臭そうにクリフトが顔を上げたので、私はその場で一回転くるりと回って見せた。すっと指を伸ばして、クリフトの鼻先に触れる。
「そんな露骨に嫌な顔することないじゃない?」
「人の読書を邪魔しておいて、よくそんなことが言えますね」
「もったいないわ。サントハイムでは女の子にもてたでしょ?」
「あなたには敵いませんよ」
 それだけ言って、また本に目を落としてしまう。睫毛がきれいで、やっぱり見惚れた。
「そうね。モンバーバラでは私、もてまくりの大人気だったわ。なのに誰かさんは、目の前にこんなに色っぽい美女がいるのに、なんで目もくれないのかしら?」
「……あなたというひとは」
 クリフトは笑いを噛み殺しながら、少しだけ顔をこっちへ向けた。
「確かにあなたはとても美しいし、色っぽい。男を落とすなんて朝飯前でしょうが」
「じゃ、なんであなたは落ちないの?」
「推測ですが。マーニャ、あなたは一定以上親しくなった男性には返って女性扱いされないのではありませんか」
 ものすごっく痛いところを突かれてぐっと詰まった私に、クリフトはうっすら笑った。
「恋人に昇格する前に、ことごとく仲間認定受けてしまうとか?」
「むっかつく」
「やっぱり。最初あなたに会った時は、確かに目のやり場には非常に困りました。でも目に慣れてしまうとこんなものかと。それに、モンバーバラに行ってわかりました。あなたのお国は誰も彼も非常に軽装なんですね。サントハイムとは気候が全く違うゆえにそんな服装にも合点がいきましたし。でもそれよりも何よりもあなた、黙ってポーズとっていれば誰もが息を呑む美しさなのに、口を開けば……こうですから。ねえ」
 言いたいだけ言って、また本の続きを読み始めた。なんとも言い返せなくて、それから過去の苦すぎる思い出もあれやこれや心に浮かんで、むちゃくちゃむかついたんでクリフトの頭をぺしっとひっぱたいた。
「うわっ!何するんですか!」
「もう少しオブラートに包むっていう発想はないの?かなーり傷ついたんだけど」
「それは申し訳ありません。でも嘘八百並べるのもどうかと」
「はあ?こんな無遠慮な人だとは知らなかったわ。じゃあ並べてみなさいよ、嘘八百とやらを」
 ぐいと顔を近づけて煽ってやると、クリフトは本をパタンと閉じて含み笑いみたいな顔になって。
「そんなこと言っていいんですか。後悔しますよ?」
「なに言ってるの?意味わかんないんだけど」
「では、御覚悟を」
 クリフトはすっと立ち上がり、やおら私の顎を掴んで上向かせた。
「ええ、あなたのように美しい人は見たことがありません。立ち居振る舞い、その眼差し、扇情的なドレス。男はみんなあなたに惑わされる」
 息が掛かるか掛からないくらいに顔が近づく。
「一度でも目にした者は、生涯あなたを忘れることなどできないでしょう。朝な夕なに思い出す、ことに眠る前に目を閉じれば、艶やかなあなたの残像がこれでもかとまぶたの裏に浮かんで、人を眠れなくさせる」
 心臓がものすごい音を立てて、早鐘のように胸の内から叩かれる。ちょ、ちょっと待ってよ。これ、どういうこと?
「だから私は、あなたが許せなくなるんです。私をこんなにさせて、それであなたはそれこそ私を仲間認定して、からかって傍若無人に振る舞うんですね。これじゃ少しはやり返したくなるってものです。その責任は取ってもらいましょうか。なにせ、言い出しっぺはあなたですからね」
 さっき見惚れた綺麗な手が、やおら私の肩を掴む。指が食い込む。
「だいたい、そんなに私を挑発してどうしようというんですか?本気であなたを口説いていいと言うなら、そうして差し上げますよ。そもそも何故『目の前にこんな美女がいるのに目もくれない』かって?どうして、男はみんなあなたに深入りしようとしないのかって?そんな事は自明の理ではありませんか」
もうあなたの顔さえも見られない。いつの間にか目をつぶってしまってた。
「はまってしまったら、それこそもう二度と逃れることなど出来ないからです。大概の男は、その強大な力に恐れおののいてしまうのでしょう。だからなんやかや理由をつけて、あなたから穏便に遠ざかろうとする。あなたにはそれだけの魔力がある。あなた自身がそれに気がついていないのは、事がこうなっては返って好都合かも知れない」
 ありえないほどの強力な呪文が、怒涛のように耳元に流れ込む。なんなの、このマヌーサ!
「つまり私は今、こう考え直したんです。あなたにはそこまでの危険を冒す価値が充分にあると。ここで私の人生を、あなたの為に全て投げ打ったとしても、多分それ以上の見返りがある。だとしたら、すでに足を踏み入れてしまった私の取れる行動はたった一つです。それは……あっ、しまった」
 クリフトは拍子抜けしたようにぱっと私から手を離した。目をぱちくりさせながら、やれやれというように肩をすくめる。
「ごめんなさい。間違えました」
「え?」
「これじゃ、嘘八百になりませんね」
 机の上にほったらかされた本をあたふたと片付け、少し困ったように微笑んでから、私の肩をポンと叩いた。
「この旅が終わったら、また出直します。それじゃ」
 そう言ってクリフトは、風のように部屋を出て行ってしまった。身体ががくがくする。まぶたの裏にも耳の奥にも、そしてありとあらゆる所にあなたの残像が焼け付いて、それこそ今夜は眠れない。火照った頬をおさえながら、私はへたり込んだ。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。