白蛇は神の使い、それとも

 窓辺から月明かりが差し込み、部屋を柔らかく照らしていた。姫様はその窓枠に手をかけられて、水の満ちる都を見下ろされていた。スタンシアラ、この街は満月の夜が最も美しい。しかしその美しさも、私の胸に渦巻く黒いものを薄めはしないのだった。
「綺麗ね」
 あなたはそう一言だけ言って、また黙ってしまわれた。あなたは私の一言を待っているのだと知っていたが、どうしてもその気になれないでいるのだった。いざとなって怖気付いているのか、それともタガを外してしまうことにためらいがあるのか。多分後者だ。こんなどす黒い感情をここでぶちまけてしまったら、二度と元には戻れない。
 あなたの後ろ姿は、中天に輝く月よりも、それに照らされた水面よりも、もっともっと美しかった。いつまでも見ていたかった、でもそれは叶わないと知っていた。私はゆっくりとあなたに歩み寄り、後ろからそっと抱きしめる。姫様が私の腕の中で、心なしか震えた。
 やるしかない。
 私に期待されているのが、そのことなら。
 抱きしめたまま、姫様の耳に唇を寄せ、そして頬にキスした。後ろから抱きすくめてそのまま窓の外、眼下を見下ろすと、幾重にもめぐらされた水路が殊の外きらきらと光り。でも、街の方からこちらが見える気遣いは多分、ない。外の方がずっと明るい上に、この暗い部屋はずっとずっと高いところにあるのだから。いっそこのままとは思った。しかし、と私は思い直し、そのまま手を伸ばしてカーテンタッセルを外す。たちまち部屋の半分が闇に覆われる。
「クリフト」
 つぶやくように消え入るように私を呼ぶあなた。でも私は応えることもできずに、ただあなたを抱きしめたまま、どうしようかと考えあぐねていた。やはり私は怖気付いているのかもしれない、でももう引き返せないのだ。たぶん私がほんとうに怖いのは、自分自身そのものだと気づいているからこそ。
 私は身を屈め、ぐっと姫様を抱き上げた。静かに私に身を任せる、あなたの顔を見る気はしなかった。そのままゆっくりと運び、部屋の中央へ。
「……クリフト」
 もっと小さな声、震えている姫様、そのことに私の中の何かが確実に鎌首をもたげた。そっと降ろすつもりだったのに、私はあなたを、荒くベッドへ投げ出した。見開かれるあなたの目、その唇から言葉が発せられるのを阻止するため、すかさず口を塞いだ。覆い被さり、あなたの両手首をがっちりと抑え込んで、でもこれくらいではあなたなら簡単に私を跳ねのけられるはず、でも今のあなたにはそれができようもない!無理矢理にこじ開けて、舌をねじ込む。あなたの身体がびくんとはね、それをなお私は肩でもって押さえつけ、胸元のリボンを噛んで強く引き、ほどいた。食いちぎってしまいたいほどだった。
 ああ、あなたがこれほどまでに震えるのが、こんなに嬉しいことだったなんて!
 急いだ呼吸と、鼓動と、それらが部屋にけたたましく鳴り響き、そしてそれはあなたのものなのか私のものなのか、すでにもう分からなくなっているほど、空気が熱を帯びて軋んでいた。鼻先で探して、素肌に触れて、べったり舌で舐めあげる。ここまでさせるなら、もう容赦なんてできやしない。と、微かに何か聞こえた気がした。
「姫様?」
 心許なく問い返すと、姫様が少し喘ぐようにした。口元に耳を寄せ、何か言いましたかと尋ねると、姫様は目を少しだけ上げ、それが涙目のようにも見えた。
「ねえ、クリフト。お願いがあるの」
「なんなりと」
「……やさしく、してね」
 でももう、遅かった。あなたが火をつけてしまったから。
「いいえ、優しくはできません。私は男ですから」
 胸元に手をかけて、思い切り引き摺り下ろした。繊維の切れる音がしたが、もうどうでもいい。月明かりに白い肌が腰まで露わになった。私はガウンを脱ぎ捨て、遠くへ放り投げた。あなたのむき出しの胸に、私の肌を押し付ける。互いの脈が溶けあい、増幅して、その隙をついて腕を差し込み、あなたの腿をぞんざいに押し上げて、汗ばんだ内腿に吸い付く。あなたのそこかしこに私の跡が焼き付く中で、私の身体は幹のように硬く、そして私の枝からは樹液が既に滲んでいた。私はあなたの返り血が欲しい。私もあなたも未だ知らない痛みが欲しい。
「姫様。私が、怖いですか?」
 あなたの答えなんてどうでもよかった。此の期に及んで“やさしく”なんて、なれるわけがない。ただ闇雲に、両手合わせて10本の指を1本たりとも無駄にせず、飽き足らず歯と舌と鼻も使って、私はあなたの身体をすみからすみまで探した。白と赤が混ざり合うなら、それは何色になるだろう。すると、ふと月が雲に隠れ、部屋がたちまち真っ暗になる。私はすかさず光と闇の隙間に滑り込み舌を覗かせた。あなたが暗闇に目が慣れるのが早いか、それとも私があなたの奥を探し当てるほうが早いか。
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