痛くしないで。

 気になって、ついまた指先で触れてしまう。
「どうしたの?さっきからやたら口元を触っているのね」
「失礼しました、姫様。私としたことが行儀の悪い事を」
「ううん、そうじゃなくて。なんかしかめっつらしてるから」
 私はあわてて微笑んでみせた。姫様は、どんな小さな事にもお気づきになる。
「正直に申し上げますと、唇の左端が少し切れてしまいまして。でも、たいした事ではありませんから」
「痛いの?」
「まあ、少し」
「見せて」
 姫様は両手で私の顔を引き寄せて、顔を近づけた。
「血は出ていないのね」
「そこまででもありません。ちょっと口を開けると引きつれる程度で……痛みというより、違和感が気になるんです」
 綺麗な指が私の口角をなぞる。
「ここ?」
「ちょっ、おやめください、姫様!あっ……」
 もろに口を開けてしまい、私はたまらず口を抑える。姫様はぴっと手を引っ込め、ばつが悪そうにもじもじした。
「クリフト、ごめんね。痛かった?」
「ええ、さすがに、ちょっと。これ以上は勘弁して下さい」
「ごめんね、もうしない」
 上目遣いに私を見る姫様、そのちょっとシュンとした感じがなぜかたまらなく愛らしく見えて、私は唇の痛いのも忘れてにっこり微笑んだ。
「やっぱり、かまいませんよ。どうぞお好きなだけ触れて下さい。ただし、こちらがわで」
 私は姫様の手を取り、その愛しい指先に唇を付け、そして少しだけ口に含んだ。姫様は見る見るうちに真っ赤になり、それがまたとにかく可愛らしかった。つと手を離して、今度は私が姫様の顔を両手で引き寄せた。
「おや、どうなさいましたか、姫様?」
「……クリフトの、意地悪」
「痛いところを先についてきたのはあなたですよ、姫様」
 柔らかい頬を、そっと撫でて差し上げる。
「じゃあ、今度はクリフトが私に痛い事をする番なの?」
「お望みとあらば」
 真っ赤な顔をしたまま、姫様は身をよじって私から逃れた。くるっと背を向けて、つとめて怒った声を出して。
「クリフトの、意地悪!」
「このまま後ろから抱きしめた方が良いですか?それとも、姫様がこちらを向いて下さいますか?」
「そんなの、答えるまでもないじゃない……」
 急に弱々しくうつむく姫様。私はくっきりした微笑みを止める事ができなくて、その結果わりと唇が痛いのだけれど、この際そんなことはかまうものか。背中から姫様を大きく包んで、耳元に囁いた。
「それで、姫様に取って『痛い事』とは何ですか?」
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。