この身も心も痛すぎて

 姫様はいつも先頭を歩き、私は常にそれに付き従う。私は、颯爽と歩くあなたの背中ををずっと目にしてきた。そして私は、その眺めが好きだった。いつも堂々としているあなた、物怖じしないあなた、そして飛び跳ねる溌剌な赤い髪。私は、あなたの後ろ姿のことならきっと誰よりもよく知っていた。
 私があなたの瞳を見ることができるのは、あなたが振り返られる、そのひと時だけ。
「クリフト?」
「はい、姫様」
 私が行儀よく返事を返すと、姫様は満足そうにうなずいて再び歩き始めた。ここ最近姫様はこのようなことを良くなさる。私の名前だけを呼んで、私の返事だけを聞いて、それだけで良いらしかった。当初は、何かご用事があるのではと食い下がって聞いたものだが、姫様はあやふやな答えを返すばかりで。私がこのことに気がついたのも、ごく最近の話だ。
「ねえクリフト」
「はい、姫様」
 すかさず同じ答えを返したが、今日はいつもとは違っていた。
「最近聞かないのね。なんで用もないのに呼ぶのかって」
「呼ばれたらお返事をいたします。それが私の役目の一つです。用があるかどうかはまた別の話だと思いましたゆえ」
 今まさにそのことを考えていたから、すこしびっくりした。それでも私は、正直に自分の中の答えを姫様に告げることができた。でも、なぜか姫様は納得しなかったようだった。
「それだけ?」
「それだけもなにも、それ以上でも以下でもあるはずがありません」
 そう言ってしまってから、姫様はこんなことが聞きたいのではないだろうなと思った。
「逆に伺ってもよろしいですか。姫様はなぜ、このことにこれ以上の答えを求められるのですか」
「だって」
 姫様は急に口ごもられた。
「クリフトは、役目だから返事をするの?」
「そういう遠回しな仰り方ではお答えできません。私になにをお求めなのか、はっきりとお伝え戴かないと」
「そんなこと、言えない」
 立ち止まって、姫様は俯いてしまわれた。一瞬言い過ぎかと思ったが、それでももう我慢の限界だった、はっきりさせておきたかった。従者としては失格だ。そう思うとすこしやりきれない。忠誠心は、こんな時には少々邪魔だ。
「仰って戴かないと、わかりません」
「もうわかっていそうな口ぶりなのね。どこまで意地悪なの?」
「意地悪とは心外です。それならこの際私も言わせていただきますけれども、姫様の方がよっぽど意地悪この上ないですよ」
 すかさず姫様の燃えるような瞳、私はひどく動揺し、そして胸が高鳴った。とんでもないことを言ってしまったという後悔と、そういえば最近の私はあまりにも姫様の後ろ姿ばかりに見慣れていたことへの驚愕と。かき混ぜられた胸は、がりがりと痛んで私の神経を削った。
「私のした意地悪って、例えばどんな?」
「例えば、というよりも。まさに今この瞬間起こっていることがそれのように思います」
 やぶれかぶれだ。この際いいから言ってしまえ。そんな投げやりな気持ちと、やっと吐き出せたと思う安堵の気持ちがまぜこぜになり、私は姫様から目を逸らした。これ以上変なことを言ってしまわないように、聞かれたことにも極力もう答えずにおこう。と思うもつかの間、姫様は次の攻撃を容赦なく繰り出す。
「私はクリフトに意地悪したことなんてないわ」
「私もそう思います。ですから今の言葉はお忘れください。大変失礼を致しました。もう二度とこのようなことは申しません」
 一呼吸おいて、私はゆっくりと続けた。
「それで姫様は、私にどのようなことをお求めなのですか」
「クリフトにはわからないの?」
 微妙に悲しげに聞こえるのは気のせいだと思う。思いたい。
「私の職務は姫様のご命令に従うことでもあります。私に何をお望みか、仰っていただかなければ」
「クリフトこそどうして、そう遠回し遠回しみたいなことばかり言うの?」
「それがお嫌なら私に『命令』すればいいでしょう。『何を望んでいるか、自分で考えろ、遠回しに言うな』と」
 私の剣幕に姫様は口ごもってしまわれる。ああ、また言い過ぎた!どうにも回り過ぎてしまう口に、我ながらうんざりする。これでは完全に、姫様に八つ当たりしているだけだ。自分の持って行き所のない感情を、よりによって当の姫様で鬱憤晴らしをしているなんて!
「申し訳ございませんでした、姫様。言葉が過ぎました」
「別にいいわ、もう。それより、というかそれなら、『命令』すれば全部話してくれる?」
「姫様のお望みでも、多分それはもう無理です。申し訳ありません」
 姫様はきっと目を見開かれた。そして私は、姫様に心の底から申し訳なく思った。
「申し訳ありませんでした。出過ぎた真似をしたこと、心からお詫び申し上げます」
 本当に、心から、申し訳ないと思う。だから私は再び姫様のお顔を見ることができた。
「お許しくださいますか。または、私を罰してください」
 こうべを垂れる。一旦恋をしてしまったら、忠誠心は邪魔なだけ。ですから私は、この思いをきっちりと秘めなければならないのです。なによりも私は、あなたをお護りする臣下なのですから。だからあなたに出会うこともできた。私にはそれだけで十分だった。ですから、ですから……どうか、
「お願いします。姫様」
「顔を上げて、クリフト」
 仰せの通りにした。そう、あなたに従う私だから。
「私はね」
 姫様の手が、私の頬に触れた。
「ただ私は、臣下とか姫とかそういうのを飛び越えて、クリフトには私自身を見て欲しいなって思ったの」
 ゆっくりと息をついて。
「なぜ、私があなたの名前だけを用もなく呼んだり、あなたの答えを待ったりしてるのか、とか、クリフトにちょっとでも考えて欲しいの。もうあなたはわかってるのかもしれないけれど、わかっていてあえてそれを避けているのかもしれないけれど」
 姫様は顔を真っ赤にしていた。それが照れなのか怒りなのかの判別がつかず、私は黙っていた。
「どんなに近づいてもね。クリフトは一枚のガラスの壁を、私との間に作っているの。私が遠ざかると薄くなって、蹴破ろうとすると厚くなる」
 そこまでわかっているなら、ちゃんと意識して欲しい。私はどうあっても一線を越えてはならないのだ。
「ねえ、教えて。本当のところ、私が姫じゃなくてあなたが臣下でなかったら、私のことをどう思うの?」
「どう思うもなにも、もしそうであったなら私は姫様に出会っていなかったと思います」
「そうじゃなくて!」
 今度は本当に、姫様の顔は燃えるような怒りで赤かった。こんな時になんだけど、姫様は本当に綺麗な人だと思い、少し見惚れた。
「どうしてわかってくれないの?いいえ、違うわ。どうしてわかっているのに、わからないふりするの?」
「私があなたの臣下だからです、姫様」
 ひっぱたかれた。
「いつもいつもいつもいつも、そればっかり!他に言うことはないの?」
「……今の振る舞いは、さすがにどうかと思います。かなり痛かったですよ」
「私はいっつもいっつも痛いわよ、ここがね!」
 姫様は自分の胸を指差して叫んだ。でも、もう私も言わずにはおれない!
「私もずっとずっと痛かったですよ。でも我慢する他はないんです!」
「クリフト!」
「すみませんでした。忘れてください。本当に本当に忘れてください」
 ギリギリと絞り出すように言うしかできなかった。けれど姫様はつと私に近づき、今度は両手で私の頬をお包みになる。
「ばかね。忘れられるわけないじゃない」
 伸ばした指が私の瞼をなぞる。その指が濡れているのに気づいて私はうろたえた。
「ぶったりして、ごめんね」
「構いません。もう二度と、あのようなことはなさいませんよう」
「クリフトもよ。もう二度と、臣下だからって理由をつけるのはやめてね」
 その声がとても優しくて、私はもうどうしようもなかった。
「先ほど、姫様のことをどう思うのかと私に質問されましたよね」
「ええ」
「姫様のことを思う気持ち。恋愛感情ですと言ったらどうされますか」
「えっ」
 はっと息を飲む気配がして、もう私はどうしようもなくなって一気にあなたをかき抱いた。姫様が身じろぎをしたのは、抵抗かそれとも恭順か。どっちにしたって結局のところ、身体か心かどっちかが痛まなければならないのだ。毒を喰らわば皿までとはよく言ったもんだ。そうだ、毒りんご、喰らうのならば芯までいただこうじゃないか!さらにきつく、きつく抱き締めあげた。
 もうあなたの答えなんか、聞かない。


主従関係で強気な従5題 [確かに恋だった] http://have-a.chew.jp/on_me
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