2:アフターハロウィン/very bitter ver.

「ひ、め、さ、ま」
 くすぐるような音が、すぐ耳元で聞こえた。
 後ろから私を抱いていた腕が動いて、とがった親指が私の鼻の頭を掻く。
「……やだ、くすぐったい」
 顔を大きく振って、鬱陶しい指を払っても、それはどこまでもどこまでも付いてきて。
「やめて、ったら。……クリフト?」
 首だけ回して後ろを探ると、くすくす笑いだけが伝わってくる。
「そろそろお起きになった方がよろしいようですので」
「え。もう、……朝?」
「正確には夜明け前ですが」
 すっと深く息を吸う気配、吐き出された長い息が私のうなじを濡らした。
「日が昇ってしまったら。大変どころでは済まないことになりますよ」
「……うん、わかってる」
 私はゆっくりと身体を起こした。腕とか、脚、それから……身体のあちこちがうずく。
「もう、行くね」
「それだけ?」
 後ろの枕元を見おろすと、横になったままのクリフトが寂しそうに見上げている。
 朝になってしまったから、ゆうべの魔法の力は消えてしまったの?
 私は身をかがめてクリフトのほっぺたに触れた。冷たかった。
「昨日は、美味しいものをありがとう」
「こちらこそ」
 クリフトがちょっとだけ笑ってくれたので、私は少しホッとしてベッドから滑り降りた。
「お忘れ物です、姫様」
 小さい笑い声が聞こえて、後ろからぽふんと白いシーツがかぶせられた。
「また後でお会いしましょう。朝の礼拝で」
 後ろからクリフトがぎゅっと抱きしめてくれる。胸が詰まる。
「姫様、……」
「なあに?」
「……いえ、何でもありません。また後で」
 いつもより低い声。何も言ってくれないのが一番辛いってこと、あなたも知ってるはずなのに。
 どうしてそんなことわざわざ言うの?そう聞きたくて、でも聞けなくて、私は……
「また、後で……ね」
「ええ」
 クリフトの手がゆるゆるはずれ、私はひどく惨めな気分になってまだ暗い部屋の扉を引いた。
 あなたに聞きたくて聞けないことが溜まっていく。想いが通じる前よりも、もっとずっと深く。
「……姫様!」
 背後で扉が閉まる直前、ささやきが聞こえた。
 すぐ振り返った。すでに扉は閉じられていた。
 でも、その厚い木の板の向こうから、絞り出すような声がかすかに響いた。
「姫様、私は……私は、こんな日がいつまで続くかと思うと」
 扉に耳を付けると、拳が当たる音が一度だけ聞こえた。
「私は、それだけで窒息してしまいそうなのです……」
「……クリフト!」
 それきり扉の向こうからは何も聞こえなくなった。
 でも、私は待っていた。まだあなたが何か言ってくれるんじゃないかって待ってた。
 それなのに、もうどんな小さな音さえも伝わってこない。
 待っていて、待っていて、待っていて……何分経ったのか、それとも数十秒のことなのか。
 階下から兵士たちの朝礼の音が聞こえる。もう、これ以上ここにいちゃいけないんだ。こんな時間にこんな姿でこんなところにいるのが見つかったら。もう二度とクリフトには会えない。唇をきつく噛む。泣いちゃだめ、……泣いちゃ、だめ。
 白いシーツに顔を押し付けながら、私は小走りにそこから走り去った。
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