少し後ろめたくて

 姫様のそばに立つよりも、少し離れたところから姫様を眺める方が好きだった。
 柔らかに髪が流れるさまも、どこか見つめる強いまなざしも。マントが揺れてチラリとのぞく、タイツに包まれた膝の裏のくぼみも。なにもかも、すぐ横にいると見えないのだった。 でも、そうしていつまでも眺めていることはいつだってできない。なぜならば、あなたは私が見ていることに、すぐ気がついて振り返られるからだ。
「なあに、クリフト?」
 私は曖昧に笑ってごまかし、すると姫様はすぐに私に駆け寄って来られる。
「さっきから見てるでしょ?でも私、まだ何もしてないわよ」
「こうして見ていないと、姫様はいつ何をしでかすかわかったものではありませんから」
「なーに、その言い方。あんまりひどくない?」
 姫様が私を小突くと、同じく近くにいたブライ様が気付いて顔をしかめられた。
「いえ姫様、クリフトが言っていることはあながち間違いではございませんぞ。わしらは姫様のお目付役として、当然……」
「もう、じいったら。それ以上言わないの。うるさいうるさいってば!」
 むくれた姫様はプイと顔を背け、ブライ様はやれやれと目だけで私に同意を求め、頭をふりふり宿屋の方へ歩いて行った。私は馬車の傍ら、パトリシアのたてがみを撫でながら、もやもやしたしこりを心に抱えていた。そう、私は、ブライ様の言う通り姫様のお目付役としてここにいるんだから、とか。お目付役としてここにいるのにもかかわらず、……とか。
「それはそうと、ねえ、クリフト。私が何を『しでかす』っていうの?」
「それはまあ、いろいろと。想定外のことも多々あるでしょうから」
 言葉を濁す。姫様はいつも私の考えの枠を、あっさりと越えて来られる。
 だからこそ、私は姫様に惹かれるのだけれど。
「そーう。そんなに私を見張っていたいのなら、今日はずっと一緒よ」
 突然腕を絡められて、私は大いにあわてた。
「ひ、姫様!おたわむれを!」
「戯れで、何が悪いの?今日はずっと一緒にいるの。今日の約束よ」
 プン、と振った頭に合わせて髪がふわりと舞い、私の胸にかかった。こんなに近くに、近くにいたい、でも近すぎるとそれが怖くて。近くにいれば、あとは離れるばかり、それならば最初から離れている方がいい!私は姫様の腕を必死に振りほどき、勢い姫様を少し突き放すような感じになってしまう。姫様は大きく目を見開かれたが、私は目を伏せるしかなかった。
「本当に、おやめください。姫様の命ならばお供は致しますが、姫様のあとを参ります。腕を……腕を組んで歩くなど、姫様にも私にも相応しい行いとは言えません」
「……そう」
 今度は姫様がうつむかれる番だった。まつげが悲しげにふるえて、私の心を締め付けた。
「私、クリフトと友達みたいに戻りたいのにな。小さかった頃みたいに、腕を組んだり手をつないだり」
「それはなりません。姫様はサントハイムの女王になられる御方。幼いことならいざ知らず、平民の私と馴れ馴れしく過ごされるのは外聞も悪くなりましょう」
 滔々と述べながら、私は心の中では全く反対のことを考えていた。望んでいた。心の片隅で、わずかな後ろめたさもうごめいていた。
「今少し、お立場というものを考えなされますように。私も、自分の立ち位置をわきまえています故」
「それ、本心?」
 姫様はこんなふうに、いきなり核心を突かれる時がある。耐性がついたのか、おいそれとは動揺もしなくなってきた。
「本心であろうがなかろうが、私は正しい事実を述べたまでです」
「ほんとうのことを知りたいのにな」
 ふいと顔を上げ、姫様は真っ直ぐ私を見られた。私は目を泳がせる。姫様の耳たぶは赤く染まって、その後ろがなぜか気になった。肌色にそっと落とされた影。
「ほんとうのクリフトを、知りたいのにな。私」
「ほんとうもなにも、目の前にいる私が私自身です」
 同じくまっすぐ姫様を見返すことは、できなかった。後ろめたいのは、こんなことを考えている自分にか、それとも姫様の明らかな好意を無下にしている事実にか。どちらも、私にあってはならないことだった。誰に取ってもあってはならないことだった。
 けれど。
 私は跪いて、姫様の手を取った。
「姫様、私はここにいます。そのことを、いつでも御心に留められますように」
 柔らかく強ばるその御手を、胸に押し当ててそっと抱く。うつむいて、わざとあなたの顔を見ないように。代わりにあなたのつま先が目に入る。随分と履き込んだブーツの,甲のあたりに付いたしわに、うっすら泥がこびりついていた。思わずそれを指ですくい取りたくなる衝動に耐えながら、私はいつまで姫様と自分を騙し続けられるだろうか、と思った。でも、もう多分破綻しているのだろう。でなければ姫様の手が、こんなに汗ばむはずはないのだから。

恋愛に臆病になる10の感情 [リライト] http://lonelylion.nobody.jp/
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